春秋時代の意味については、以前の記事「3分でわかる、春秋戦国の中国思想の流れ」を参考にしてください。

ここでは『春秋』という歴史書について話をします。

古代より中国の王朝は歴史を記録する習慣がありました。

春秋時代になると各地の諸侯たちが自分の国の史書をつくります。

魯の国でつくられた史書を『春秋』というのは以前の記事でも書きましたが、

ほかの国でも史書はつくられていて、

たとえば晋の史書は『乗』といいます。

孔子は魯の国で『春秋』の編纂にあたっていました。

孟子などの儒学者は『春秋』を孔子が書いたとしていますが、基本的にはまとめたり手直しをしたりといったぐらいだったと思われます。

『春秋』の内容ですが、淡々と簡潔に歴史を記録しているだけです。

これは中国のほかの史書にも見られる特徴で、あくまで歴史は客観的に記録しなければならないという姿勢でしょう。

ただ簡潔すぎて意味が分からないということもあり、後世では史書に注釈がつけられます。

『春秋』は孔子が書いたということもあって、

「孔子の書いたことだから、そこには深い意味があるのではないか」

として、注釈書が多く誕生しました。

とくに名が知られているのは、『春秋三伝』と呼ばれる三冊の注釈書です。

『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』、そして『春秋左氏伝』です。

『春秋公羊伝』は孔子の弟子である子夏の門下、公羊高の書いたものといわれています。

『春秋穀梁伝』もおなじく子夏の門下、穀梁赤の作とされています。

ただこの2冊は歴史のことよりも孔子の真意を記述することに力が費やされています。

いっぽう『春秋左氏伝』は歴史的事実を詳しく書いた注釈書であり、『左伝』ともいわれています。

三冊の中で一番人気があるのは、この『左伝』です。

作者は左丘明といわれる人物ですが、詳しいことはよくわかっていません。

さきほどの2冊とおなじように、子夏の門下という説もあります。

『左伝』は後世でも研究がつづけられ、三国志では関羽の愛読書としても知られています。

また三国統一に貢献した晋の杜預も『左伝』の研究に大きな貢献をし、

司馬炎から「おぬしにはどんな癖があるのだ」と聞かれると、「左伝癖がある」というぐらいの左伝好きでした。

単なる歴史書でなく、物語的な面白さのある『左伝』には、現在でも多くの愛好家がいます。

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